本音ときどき嘘建前

こんな感じに仕上がりました

窓ぎわのトットちゃんと続窓ぎわのトットちゃん

この時代に続編がでたら読まない理由はなかった

変更確認 今まで「窓ぎわのトットちゃん」を読んだことがなかった。
私の周りの友人は、小学校の授業で夏休みに読書感想文の課題図書になっていて読んだことがあったり、先生が読み聞かせをするなりして一度はその中身に触れたことがある人が多く、時にはあって早々「もどしとけよ」なんて言ってみたりしてマウントをとってくる始末だ。
そうやって、小中高大~社会人生活に至るまでマウントをとられ続け、トットちゃんを読んだことがないコンプレックスを抱えながら30数年生きてきたわけだが、この度42年ぶりに続編が出たことを知った。
この世の中に生まれて、この時代におっさんと生きている今この瞬間にトットちゃんの続編がでるということは、これは読まざるを得ないわけで、いきなり続編から読むことなんてバイオハザードですら、やるなら1からやりたいとか言いながら結局永遠にApexやっちゃうし、ショートケーキのイチゴは初めに食べるのか最後まで残しておくのかどちらかと聞かれたら、ショートケーキなんてもう胃もたれして食べれないからイチゴだけ食べる私にしてみればできるはずもなく、ファーストトットちゃんから続編とまとめて読むことにした。

文庫本のファーストトットちゃんと単行本のセカンドトットちゃんがAmazonから届いた。
岩崎ちひろさんの絵が印象的な表紙。
カバーをめくるとピンク色の台紙の中で隠れトットちゃんが私を迎えてくれた。

[窓ぎわのトットちゃん]会社に置き換えると地獄だけど、きっと今より少しだけ人にやさしくなれる気がする本

窓ぎわのトットちゃんには、トットちゃんのトモエ学園に入ってから去るまでが書かれている。
トモエ学園のこと、トモエ学園に関わる先生や生徒のこと、トットちゃん自身や家族のストーリーを読む中で、私自身今よりももう少し人にやさしくなれるような気がする本だった。

戻しとけよ

人間は自分で物事を考えてこそ輝くものである。
会社で働いていても、自分で判断できることと判断できないことの判断がつかない人がたくさんいる。
私の場合、その辺の判断は得意なほうで、休憩は休みたいときにとって労働時間6h、休憩時間3hなんて日も週5くらいであるし、会社のアンケートの連絡がきても、そしてそれが全員必須です!とか言われてても、ラジオボタンではないテキストの回答欄が必須項目として目に入った時点でブラウザの閉じるボタンを瞬時に押してなかったことにするという判断もできる。
世の中にはいろんな判断をする人がいる。
人に言われたことをおとなしくやって生きていこう。という判断をする人ももちろんいるだろう。
どんな人でも、子供でも大人でも対等の人として扱って、その人の判断を尊重することが、本来の人間の在り方なんじゃないかなと感じた。

それからさー

会社でも毎週持ち回りで、何かネタを発表するという風潮の部署やチームが存在する。
そういった部署やチームは、往々にしてナチュラルボーン意識高い意欲満載ミラクルジェリクルキャッツだったり、自分自身はぱっとしないけど、うちの部署はなんかいい感じの施策をやっているよすごいだろ?とドやりたいけど、自分では絶対に何もやらないおっさんのトップダウンな部署だったりする。

でも、本当に「ない」のだ。

私の場合は、業務外にそんなことを考えてくる時間とやる気がないわけだが、そもそもこういった発表をやったことがない人にとっては、何を話したらよいかわからない。前の週とかに他の人が発表をしてたじゃん?というかもしれないが、そんなものは聞いてすらいない。

なぜなら、なんかしゃべってたのは覚えているけど、全然興味のない内容だったし、何よりソシャゲのイベント周回が忙しかったりしたらか、以前他の人が何を話していたかなんてこれっぽっちも残っていないわけだ。
そうなったときに、部長やら、チームリーダーやらが、「よーし!それなら作ってみよう!」なんていいだした日には、社員総出で人事部に駆け込むしかないわけではあるが、その人の「話すことがない」に関して、パンがなければお菓子を食べればよい。という発想は、マリーもびっくりアントワネットというわけだ。

[続・窓ぎわのトットちゃん]今の自分には何ができるのか

人は強く、そしてたくましくなれる

人を変えるものって何かを考える。
悔しかったこと、うらやましいと思ったこと、なりたい自分
モチベーションには様々な理由があるが、確実に変わらざるを得ないのが環境だと思っている。
毎朝本を読もう。週に2回はブログを書く時間を作ろう。筋トレもしよう。
基本長いこと続かない。モチベーションに波が出てくる。
だけど、自分が変わることを余儀なくされる。
昔は致し方なく環境を変えざるを得ないことが多かったのかもしれないが、現代社会における環境を変えるが意味するところはつまり自分の判断からやってくるものであるわけで、例えば自分で転職活動を始めておいて、なんで俺が転職活動しなきゃいけないんだよ。なんて思う人はまずいないだろう。

つまりは、自分が変わりたいって思ったときには、自分が適用したときになりたい自分になれそうな環境に身を置くことを考えるのが一番楽なのかもしれない。

咲くは我が身の努めなり

この本で一番気に入った言葉だった。

あなたは何をする人なのか?

この問いに即答できない人は、成功しません。
そんな自己啓発の何かを見たり読んだりしたことがある。

例にもれず、私は未だに即答できないのでもちろん成功者とは呼べないのだろう。
蝶よ花よと育てられ、欲しいものは何でも与えられ、時には畳のイグサをむしるような学生のころから、この理念が浸透し、素直に受け止め、自分は将来どうしたいのかと話し合っている生徒たちはまさしく可憐な花そのものなのだろう。

まとめ

人にやさしくするってとても難しいことだと感じている。
〇〇ハラといった多様なハラスメントが騒がれ、仕事にやりがいや自分の成長を求められるこの時代における人間関係は非常に難しいものになっている。
しかし、結局仕事っていうのは、人と人が作っていくものなので、人との関わりというものは切っても切り離せないわけで、そうしたときに、最低限、人にやさしくすることができれば、やさしさをどこかの悪意に利用されることはあっても、人を傷つけてしまうようなことはなくなるんじゃないかなと感じた。
「やさしいだけなんだもん」といわれ、別れを言い渡されたことがトラウマになっているそこのあなた。
やさしいってとってもいいことじゃんね?

著者経歴

黒柳徹子
東京生まれ。俳優、司会者、エッセイスト。東京音楽学校声学科卒業後、NHK専属のテレビ女優第1号として活躍する。
徹子の部屋」の放送は1万2000回を超え、同一司会者によるテレビ番組の最多放送世界記録を更新中。
1981年に刊行された「窓ぎわのトットちゃん」は、国内で800万部、世界で2500万部を超える空前のベストセラーに。
1984年よりユニセフ親善大使となり、のべ39か国を訪問し、飢餓、戦争、病気などで苦しむ子供たちを支える活動を続けている。